卵からひよこは孵りますか

2021年9月29日、D1、つまりリセットです。

今周期はなんだか手応えがあったのですが卵は誰とも出会わなかったようです。年々、卵を無駄に毎月垂れ流しているような気がします。不育症に加えて不妊症も併発しかけているのではと疑ってしまう。30歳、産むにはもう若いとは言えない年齢です。

卵を孵化させる雌、そして孵化したひよこ。そんな彼らに関わるようになったせいか、はたまたそういう年代だからか、実際は両方なんですが、周りの人生ステージがいち、にと上がっていってもう子ども2人に持ち家のある後輩がいる。年上の知り合いが授かり婚、あっ授かれるんだ健康な卵を持ってたら授かれるのか。いつのまにかもうすぐ結婚して4年が経とうとしています。

卵の寿命は24時間だとか実際の受精可能時間は6時間くらいしかないとか卵が無事に運命の王子様に出会えても染色体エラーですベッドに十分な栄養が行き渡ってませんなんとかかんとかそれこれそうこう。はい、妊娠は結果論です産むも地獄産まないも産めないも地獄正規でも非正規でも若くても歳いってても男でも女でも健康でも余命1ヶ月の病でも金持ちでも貧乏でもみーんな地獄。それぞれの立場でしか見えてこない地獄ってある。別に前世の罪とかそんなのないの、生まれたことそれ自体が罪だとかそんなこともないの。ただね、人には人の地獄があるんです。

地獄の卵からひよこは孵りますか。地獄の卵から孵ったひよこはどんな色でどんなかたちをしていますか。無眼球症ですか多指症ですか。ひよこは幸せですか。

そして「まぶしくないね」って言う

夏なのに、あまり夏じゃないから。

だから自分の誕生日を迎えたときも「あれ、誕生日なんだっけ」と拍子抜けした今年。ひんやりした風を避けるように白いパーカを羽織って犬の散歩へ行く。真夏の真昼間にこの犬が散歩に行けるだなんて、もしかしたら彼女が生きているうちでは最初で最後なのかもしれない。あまり夏じゃない夏のしずかな呼吸を肌で感じ、私もあわせて深く呼吸した。

 

露に濡れてぐんと伸びた夏草を犬がどんどん掻き分けていく。私はそこに足を踏み入れたくないから限界までリードを延ばした。彼女との距離は4メートル。振り返る犬、片方だけ立った耳、「こっちに来ないの?」って顔。来ないよって小さく口を動かすと、彼女はふうんと不満を言いたげな表情を一瞬して、またぐんぐんと進んでいった。

盆だから寒いから天気が悪いから、大きな公園に子どもたちの姿はない。彼らの肌は、今年はあんまり焼けないまま夏休みを終えるのだろうか。小学生のころ、夏休みの前とまるで別人というくらい真っ黒に焼けた子たちがたくさんいたものだけど、そんな劇的ビフォーアフターは希少になっていくのかなって、目の前の小石を蹴ってみようとして空振った。

 

犬はときどき振り返る。ちゃんとついてきてる? わたし、牧羊犬なんだから。迷子になっちゃだめよお母ちゃん。あ、あそこにバイク! ちゃんと群れに戻りなさあい。

1時間の探検ももう終わり。また彼女は振り返って、そして「まぶしくないね」って言う。

私は妊娠を寿ぎたくなんてなかった

姉は次々とグレープフルーツジャムを口に運んだ。張り出したお腹のせいで、堂々と威張っているように見えた。もろくて今にも崩れそうな果肉のかたまりが、姉の喉をすべり落ちていった。
『PWHは、胎児の染色体も破壊するのかしら』     
 鍋の底で、怯えるように微かに震えているジャムを見ながら、わたしは思った。

小川洋子『妊娠カレンダー』

この文章に触れたとき、17歳の私はほっと胸を撫でおろした。主人公の胎児に対する消極的な悪意はある種の救いであるような気がしたからだ。

それから干支が一回りした今、やはり私はこの一節を読むたびに救われている。二、三か月に一度のペースで友人知人の寿ぐべき報告を聞くたびに、混じり気のない祝福の言葉と同時に赤子の染色体について考える。

女ばかりが「産む」なんていう命がけで崇高で穢れた役割を担わなくてはいけないなんてなんて損なんだと思っていた。毎月の生理が重く下着を汚すたびに、将来産むかわからないのに律儀にやってくる忌み物に対して恨みが募った。なにがおめでとうだ、と。

「しかし本当に、姉と義兄の間に子供が生まれるということが、おめでたいのだろうか。わたしは辞書で『おめでとう』という言葉を引いてみた。──御目出度う(感)祝いのあいさつの言葉──とあった。「それ自体には、何の意味もないのね」  とわたしはつぶやいて、全然おめでたくない雰囲気の漢字が並んだその一行を、指でなぞった。

小川洋子『妊娠カレンダー 』

妊娠は結果論だ。経過に心配があっても最後に無事に産まれてくればよかったね、で終わる。経過が順調でも最後がよくなければだめだった、となる。育児は大変だけど子どもはかわいいよ。それは本当だろう。嘘だとは思わない。なんだかんだで無事に産まれてきてくれたからだろう、とも。

17歳のわたしよ、おまえの嫌悪は間違っちゃいない。命がけで崇高で穢れた役割だ。でもおまえは妊娠も出産も経験してないからそんなことが言えるんだよ。29歳の私もついに出産は叶わなかったが、妊娠は小さな種のような喜びと大波のような不安を連れてきて、そして驟雨に散る桜のように儚いんだ。

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンは「ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢」で完成する

※このnoteには「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」および入場特典冊子「ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢」のネタバレが含まれます。




こんにちは、せのです。
普段はつらつら中身のない日常生活のエッセイをここで書いているのですが、もうどうしようもない感情でこの秋の寒さの中のたうち回ってしまったので勢いのままにこのnoteを書いています。

皆さんはご覧になりましたか???もちろんご覧になりましたよね!?!?

「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』公式サイト 『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』大ヒット上映中 新しい時代が到来し、世界が大きく変わっていこうとしている今、【 violet-evergarden.jp

劇場版の本作は、2018年に放送されたTVアニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の続編、いや、集大成ともいえる作品です。「いやアニメすら見てないんだけど」って方は公式youtubeで5分でわかるヴァイオレット・エヴァーガーデンが特別に公開されているのでぜひ、ぜひ!!見てくださいそして気になったらTVアニメ本編を見てください見てください。

アニメを履修してから劇場版を観に行くと冒頭5分で泣けるので必ず履修しましょう。ネトフリなどにあります。

ちなみに、本日(10月9日)より劇場版の冒頭10分が公式youtubeにアップされたので、アニメは見たけれど劇場版はまだ……な人は見てください見なさい見ろ、悪いことは言わないから。


※以下、劇場版と特典冊子のネタバレを含みます。





さて、本題に入るまでに長くなってしまいました……オタクの悪い癖ですね。今回は世の中の頭のよい方々がされている考察やら高度な感想やらは書きません、というか私にはそんな能はありません。ただただ「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と入場特典でいただいた掌編冊子「ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢」に感情をめちゃくちゃにされた、という話を書きたいだけです。すみません。

あー、結論から書きますね。

「おいギルベルトおまえヴァイオレットに恋愛感情持ってたんかい!!!!!」


私ね、劇場版の最後のシーンを観るまでギルベルト→ヴァイオレットの感情について、庇護欲とか幼い少女を戦争に借り出した罪悪感・責任感とか親子愛に似たものなのかなと思ってたんですね。もちろんそういう感情もあるに違いないとは思うのですが、いやほら歳も離れてるしさ……うん。。。
だから最後のシーンでちょっともにゃって「公式とは解釈違いだな……」と思いながら劇場を後にしたんです(しかし二人の再会シーンを含め何度も上映中に泣きました、はいしっかりと)。

それでですよ、劇場版を観てから数日後に入場特典でもらった「ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢」を読みました。たぶん劇場版の後日譚みたいなものだろうなと思って。そしたらね、やられた。

「あれ……?私が今読んでいるこの冊子は同人誌か?これいつのコミケで買った……?」

ギルベルトの生い立ちや、ギルベルトをありのままに理解して愛してくれたのがヴァイオレットだったという、いやあそりゃあ離れられないよね!!だから劇場版本編では会いたくても会えなかったんだねだって会っちゃうともう離れられなくなるんだもん……え……むりなにこの展開。

ギルベルトとヴァイオレットが恋人になって島で平和な毎日を過ごしている……尊い……なにこの甘々な二人まぶしい。
つらい大戦を戦場でともに戦い、生き延びたけれど離れ離れになってしまってそれでもずっとお互いを想い合って。それでようやく結ばれたんですよ……。孤児だった少女に「愛してる」をくれた青年と、いつも自分の感情を抑えていた青年に「愛してる」の感情を芽生えさせてくれた少女が。

解釈違いとか思ってすみませんでした。

劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、この「ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢」があって初めて完成するんじゃないかと思いました。ぜひぜひ京アニさん、大変でしょうがDVD特典で「ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢」も映像化してください……。

「(略)君を抱きしめて安心したかった……」(CV.浪川大輔)で容易に再生できる。この糖度1000000%のセリフを浪川大輔で聞きたい!!

「ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢」でギルヴァイめちゃくちゃ好きになってしまった特にギルが好きになりすぎてしまった本当に本当に二人とも幸せになれてよかったね……うん……うん……。

本作品に対しての語彙力を持ち合わせていないのでとにかくぜひ劇場に足を運んで入場特典(先着)がなくならないうちに「ギルベルト・ブーゲンビリアと儚い夢」をゲットしてください!!!それでは!!!!

あと干物になるくらい泣くからハンカチと替えのマスクは忘れないでね!!!!!!


瓶詰めのヴィーナス

少しだけ開かれたドアの隙間から、だらりと力なく垂れた白い腕が見えた。
「24歳の誕生日を迎えられたら、お祝いしてね」
以前から彼女はそう言っていた。極めて軽い口調で。花のほころぶような笑顔で。
僕がはいはい、と受け流すと、彼女は満足したように頷いて、それから絶対だよ、と小さな声で念を押す。それが僕たちのお決まりのやりとりだった。
もちろん、僕はそれが冗談だと思っていたからそんな対応をしていたのだし、彼女もそのことは充分理解していたはずだ。
だからあまりにも呆気なかった。
ダイニングテーブルには飲みかけの酒と、夕飯が残されたままだった。シチューの香りが辺りには漂っていた。彼女の膵液はこの香りと似ているのだろうと、ふと思った。
僕は買ってきたばかりのミニボトルのワインを開けて、一気に飲み干した。上に向けた顔を元に戻したときに視界がぐらりと揺らいだ。空のボトルを彼女に重なるよう、前に突き出してみる。白い肢体がぼんやりとボトルに収まる。このままボトルに詰めて飾っておいたら、どんなに素敵なことだろうか。
遺書らしきものは何処にも見当たらなかった。細い首筋に触れると、ひんやりと冷たかった。先日、彼女と美術館で見た石膏像を思い出す。腕のないヴィーナス。愛する者をその腕で抱くことのできない彼女は、愛をもってもそれを相手に伝えることができない。
救急車、だとか警察、だとか、そんなことが頭の裏側をちらちら掠めていたのだが、どうしても電話を握る気分にはなれなかった。一分一秒でも長く、この完璧な彫刻を眺めていたい気分だった。それ以上に、見知らぬ者の手によって乱暴にこの均整のとれた世界を崩されることが許せなかった。
僕は今、世界で一番美しいものを目にしている。
「きれいだ」
その一言は、薄いベールのように静かに彼女にかかり、その向こう側の顔はこの世のものとは思えないほどの微笑みを浮かべた。

(2013年12月)

夏至の午後

久々に駅前まで出かけた。この街に引っ越して半年以上経つのにまだ駅周辺を全然探索してなくて、二人で手をつなぎながらぐるっと駅周辺を回った。歯医者、パチンコ屋、美容室、不動産屋、居酒屋、公園。なんてことない街の風景なのに、なんてことない街の風景だからこそ、幸せだなあと心がほかほかした。

本屋で漫画を買い、ドトールに入る。カフェに入るのは3ヶ月ぶりだ。ミルクレープと豆乳ティーのアイス。席は1席ずつ間隔があいている。ミルクレープいる? いらない。この漫画おもしろいよ、そういえば久々に紙の漫画買ったなあいつも電書だから。おれは漫画は紙で読みたい派だなあ。そういえば、どっかお出かけしたいね。ドライブとか。いいね。

そうやって30分ほど時間を潰して二人で家に帰った。たった1時間の外出、なんだけど、それがうんと特別なものに思えた。もう何年も二人で暮らしているけれど、当たり前の日々がやっぱり楽しい。

ぐるっとまわって

やることがあるんだかないんだかよくわからなくなったので、本当はダメだけど今日はお酒を飲んでしまった。飲んだ後にやっぱり息苦しくなって飲まなきゃよかったなと思った。

夕方、夫が犬の散歩へと連れ出してくれた。緊急事態宣言中には子どもやランナーでごった返していた河川敷の人たちは各々の帰るべき場所へと帰ってしまったようで、そこにはいつもどおりのひっそりとした日常が横たわっていた。私はその「普通」の日常に取り残されて、海のある方向から吹く塩っ気のある風を犬と全身で浴びるだけ浴びた。そんなにきれいな川じゃないけれど、その瞬間は無性に水のなかに飛び込んでしまいたかった。何も見えない水中でぐるっとまわって溶けていたかった。

絶望ごっこはもうやめよう、と改心した数時間後にまた絶望しているので、もう履歴書の趣味の欄には絶望ですって書いたほうがいいのかもしれない。いつも免罪符を探している。この自粛期間中に少し肉のついてしまった背中にべたりと免罪符を貼ってくれたら私は安心して暮らせるだろうか。誰か書いてくれないかしら。実際は誰も書いてくれないし本当は貼ってもらわないまま生きていたいんだけど。

もし免罪符を背中に貼ったまま川に飛び込んだら、私のどす黒い皮も免罪符とともにはがれてきれいさっぱり脱皮したアタラシイワタシになっていたらいいなあと思いながら、小学校のバスケクラブらしき子どもたちの練習を見ている。私、唯一好きな球技はバスケだったな、地元の中学のバスケ部が強豪校じゃなかったらバスケ部入ってたかもしれないな、と思った。練習に励む子どもたちは曇り空の下できらきらかがやいて見えた。