『遥か別』『ロングヘアー日記(仮)』/文フリで手に入れた日記

文フリで買った本を読んだ。

『遥か別』伊藤佑弥さん
自分は日記というものを最近あまり書いていなかったし人の日記も読んでいなかったので、久々に人の日記を読めて新鮮だった。つい先月、2023年4月のことを記してあったから、私も日記中で触れられている出来事に関して、ああ、あのことかとわりかし鮮明に思い出すことができた。
奇妙な古本屋の話、鳩を踏む話。伊藤さんの日記は突飛なことはそれほど書かれていない(だいたい人生というものにそれほど突飛なことはそうそう起きない)。しかし、どこかにおやっと思える描写が含まれていたり、ああわかるなという描写があったり。小さい頃から馴染みのある綿菓子を食べていたら、ちょっとだけ弾けたような小さな刺激がある。日記だから、毎日あったこと考えたこと感じたことを記し続けていくものだからこそ、著者の感覚の機微が細かく感じられる。エッセイとは違う、日記のよいところ。

 

『ロングヘアー日記(仮)』オカワダアキナさん
オカワダさんの作品は久々に読んだ。彼女の日記をこうして紙で読むのは初めてかもしれない。日記と題しながらも本人が「あんまり日記っぽくないかもしれない」と記しているように、私がぱっと想像する日記の体裁とはすこーし異なるかもしれない。でも、日記の体裁なんて書き手が好きに決めればよいのだし、読み進めていくうちのこの体裁がしっくりと読み手の自分にも馴染んできた。
田舎における女、とくに嫁の役割は自分も辟易とすることがある。だから田舎を飛び出してきたこともあるが。別に都会にいたって、契約まわりの話について夫婦ふたりで聞いているのに明らかに夫にだけ説明されているなと感じたり、子供のことについて「お母さんが」と女だけ名指しされたりすることだってある。こうした違和と付き合っていかなきゃいけないこともわかっている。けどね。
あと、私も彼女と同じ、少し珍しい食物アレルギーがあるので、同じ人がいたんだとちょっと親近感がめばえた。

パフェ食いたい

朝起きたらワクチンの副反応で重だるく、頭痛。朝一番の会議に出て、いくつか仕事を片付け病院へ。残念でしたと告げられる。

帰りの電車で一粒だけ泣き、終わる。昨日M-1でやたらビールのCMが流れていたからヤケ酒として1本買って帰ろうかと思ったが、今までの努力が水の泡になりそうな気がしてやめた。

帰ると副反応の発熱。ちょっと今日は無理そうなので休みにしますと連絡してベッドにもぐる。2時間くらい寝ていたらしい。犬に起こされる。犬がベッドに上がって至近距離でこちらを見ている。おいおまえ、なぜ寝ている、散歩に行くぞ。

圧がすごい。

炊飯器をセットしてまたねむる。起きる。犬に夕飯をやる。少し遊ぶ。またねむる。起きる。オムライスをつくって、昨日の残りのビーフシチューをかける。お腹がいっぱいになる。またねむる。ソファで寝ていたので、夫が毛布をかけてくれる。

 

パフェ食いたい。いちごのでっかいパフェ。

 

 

20210223

ここ一週間くらい、加虐心に蝕まれることがたびたび起こる。道ゆく乳飲み子だとか、同居人だとかにとにかく酷い仕打ちをしたくなる。ただその感情は一過性のもので、三十分や一時間ほどすればゆるゆると抜けていく。春だから気が触れているのか、不摂生な生活で早すぎる更年期が来たのか。理由はわからないが不安定な日々だ。表向きは安定しているし自分もそう信じて疑っていなかったので少し動揺した。

20210207

逃げられない。

 

もう逃げられないところまできてしまったのだとようやく自覚して観念した。わたしはもうこいつとしか生きていけないしたぶん、おそらく、こいつに食わせてもらわなければならないし何かを新たに始めるにしてもコストが高すぎる。もうこいつとしか生きていけないのならいかに利用して食っていくかという作戦を立てなければならない。後悔するには遅すぎた。

 

こんな人間になるはずじゃなかった。今のわたしを数年前のわたしが見たら失望どころの騒ぎではない。きっと百回千回と滅多刺しにされているだろう。けれど今更何も積まずにここまで来たことを悔いてもしょうがないので、今からやれることを着実にやっていくしかない。人生とはあまりにも地味。

20210213

今日は春のようか暖かさで上着もいらないほどだった。あれだけ遠くにいたような気がした春も確実にこちらに近づいてきている。あちらが近づいてきているのか私たちが近づいていっているのかよくわからない。なんとなく輪郭だけがわかる不安を押し殺して淡々と家事を片付けた。こうした頭を使わない作業は余計なことを考えずに済むから好きだ。でも家事をずっと仕事にしててねって言われたら無理だなと思う。今の文章を書く仕事も運良く何年か続いているだけでこれからどうなるのかわからない。世の中には私よりももっと文章が書けて文章を書く体力がある人がたくさんいる。そうした人たちの中には文章を書くことを生業にしていない人もたくさん、いる。生業にしたがっている人もたくさんいる。私はたまたま需要に対して供給の少ない領域に潜り込めたから今こうしていられるだけ。これがやりたいことなのかと聞かれるとわからない。歳を重ねるうちにやりたくないことばかりはっきりしてきてやりたいことはわからなくなる。そうしてポジティブな感覚が鈍麻していって意味もなくそれぞれの寿命まで何となく生きてしまうんだろう。

利己的な同情

朝、夜の間に降った雨に濡れる草を掻き分けて走る。犬がこちらを見てニコニコしながら並走する。途中で気になる女性を見つけて、犬が何度も彼女のほうへ行こうとするのを静止する。犬と一緒にその後ろ姿を見送ると、リュックに付いたマタニティマークが寂しそうに揺れていた。

 

30歳になるとだいたい自分勝手にやりたいことはやりきったかもしれないと考えはじめて、どこまでも利己的な自分でさえも他人のために身を捧げたくなってくる。という考えすらも利己的。

幼子を抱える友人や家族の近況を聞く。この前までは羨ましい気持ちのほうが優っていたが、最近は同情の気持ちのほうが強い。かわいそうだと思う。でも子供はかわいいからなんて言葉で誤魔化さないでほしいと彼や彼女の話を聞きながら願っている。母性や父性なんて神聖なものがすべての親に宿っているわけじゃないんだから、かわいそうに。不完全であってくれよ。ビデオ通話越しの相手の顔が歪んでいる。声が遅れている。そうやって「母親」像はひしゃげていく。そう、それでいいんだよ。

 

ネットでたまたま我が家の半分の世帯年収で子ども2人を育てている首都圏在住の夫婦を見て、首都圏でこれはしんどそうだなと外野なりの身勝手な感想を抱く。スクロールしていけばポイ活、食費の節約、光熱費のなんちゃらかんちゃら、と日々の努力が投稿からうかがえた。未来の資産である子供を育てているのにかわいそうだ。子供からしてももはや親ガチャではなく国ガチャだろう。テーブルですっかりぬるくなったミルクティーに掛けられた10%の消費税のゆくえを思う。

 

教員不足で公教育が崩壊しつつあるニュースを見て、授業だけならやるのにな、とぼんやり考える。別に今の仕事なんて私以外にも適任はいる。同じことを考えている教員免許持ちは多いだろう。特に私が所持している教科はコマ数が多いにもかかわらず保有者が少ないので、今でも毎年毎年臨時教員の声が掛かる。公教育を満足に受けられない先進国なんてあるだろうか。

 

ああ、かわいそうに。みんなかわいそうに。わたしもかわいそうに。